シャペコエンセ

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墜落事故のシャペコエンセがバルサと対戦、奇跡的生存選手も復帰
【AFP=時事】サッカー第52回ジョアン・ガンペール杯(52nd Joan Gamper Trophy)が7日に行われ、昨年11月の航空機墜落事故で選手19人と関係者24人を失ったカンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国選手権)1部のシャペコエンセ(Chapecoense)が、スペイン1部リーグのFCバルセロナ(FC Barcelona)と対戦した。

 試合は0-5で敗れたシャペコエンセだったが、バルセロナの本拠地カンプ・ノウ(Camp Nou)で行われた一戦では、事故で生き残った3選手の一人であるアラン・ルシェウ(Alan Ruschel)がキャプテンマークを巻いてピッチに復帰した。

 シャペコエンセのメンバーを乗せた航空機は昨年11月、アトレティコ・ナシオナル(Atletico Nacional)とのコパ・スダメリカーナ(2016 Copa Sudamericana)決勝へ向かう途中、コロンビアの山岳地帯で墜落。計71人が命を落とした。

 ルシェウと共に奇跡的に助かったジャクソン・フォルマン(Jakson Follmann)とサンピエル・ネト(Helio Hermito Zampier Neto)はこの日、6万5000人の観客が集まったスタジアムでキックオフを行うと、涙を抑えきれなかった。

 ルシェウはスペインのスポーツ紙マルカ(Marca)に対し「再びプレーできるようになり喜びでいっぱいだ」、「私は世界で最も幸せな人間の一人だ。考えられないような生活を送っているのだからね」と語った。

 試合終了後には、この日マッチアップしたリオネル・メッシ(Lionel Messi)とユニホームの交換も果たしたルシェウはまた「一度も想像しなかったようなスタジアムで、バルセロナと対戦するためにスペインにいるなんて、自分は幸運だと思う」と続けた。【翻訳編集】 AFPBB News

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飛行機事故のシャペコエンセ、事故後初の対外試合 会場には折り鶴も

【1月22日 AFP】航空機墜落事故で多くの犠牲者を出したカンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国選手権)1部のシャペコエンセ(Chapecoense)が21日、新しいメンバーで事故後初となる対外試合に臨んだ。

 チームカラーである緑色に塗られたシャペコエンセの本拠地、アレーナ・コンダ(Arena Conda)で行われたパルメイラス(Palmeiras)との親善試合は、一般市民やメディアからの大きな注目が集まる中で開催された。

 オンラインで販売されていたチームのユニホームは完売し、さらに世界中から241人の記者が取材に訪れたが、ブラジル国内の失業率が過去最悪の水準に達する中、入場料が25ドル(約2900円)と高めに設定されたことが客足を遠のかせたのか、観客席は埋まらなかった。

 それでも、試合開始前に生き残った3人の選手へコパ・スダメリカーナ(2016 Copa Sudamericana)のトロフィーが渡されると、スタジアムは大きな拍手に包まれた。亡くなった選手の分のメダルは夫を亡くした夫人たちが代理としてピッチ上で受け取り、中には感極まる人もいた。

 生存者の一人である左SBのアラン・ルシェウ(Alan Ruschel)は、試合前の会見で「逝ってしまったみんなも、もし見ていてくれたなら、きっと喜んでいると思う」と話している。

 航空機は2016年11月28日、コロンビア・メデジン(Medellin)近郊に墜落し、乗っていた77人のうち、シャペコエンセの選手19人、クラブ関係者24人を含む71人が命を落とした。この試合では、71分に犠牲者を悼んで観客が起立して拍手を贈った。これは今後、シャペコエンセのホームゲームでは恒例となる。

 4部からわずか5年で1部へ駆け上がり、さらに主要大会の決勝にはじめてたどり着くという、夢のような快進撃を続けていたクラブを襲った悲劇。チーム再建を余儀なくされたクラブは、期限付き移籍を中心にして新しく22人の選手を獲得した。

 選手獲得に尽力したディレクターのルイ・コスタ(Rui Costa)氏は20日、AFPに対して「この上なく力強い意思表示だ。このクラブは死なないというね」とコメント。新指揮官のヴァグネル・マンシーニ(Vagner do Carmo Mancini)監督は、試合を「大きな瞬間」と呼んだ。

 生き残った3人のうち、ルシェウとDFエリオ・エルミート・サンピエル・ネト(Helio Hermito Zampier Neto)はすでにリハビリを始めており、今季中の復帰を目指している。GKジャクソン・フォルマン(Jakson Follmann)は事故で片脚を失い、復帰の道を断たれている。

 試合は2-2の引き分けに終わっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170122-00010007-afpbbnewsv-int
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南米コロンビア北部メデジンの近くで28日夜、ブラジル1部リーグのプロサッカーチーム「シャペコエンセ」の選手らを含む77人を乗せた旅客機が墜落した事故を受けて、選手の大半を失った「シャペコエンセ」を応援する声がサッカー界から次々に上がっている。 

ラミア・ボリビア航空のチャーター機に乗っていた77人のうち、6人のみが救助された。コロンビアの航空当局によると、フライトレコーダーは2つとも回収された。また「シャペコエンセ」関係者のほかに、記者が21人乗っていたという。当初は、乗員乗客81人と発表されたが、コロンビア当局は後に乗客名簿に名前のあった4人が実際には搭乗していなかったと訂正した。 

「シャペコエンセ」の選手らは、南米サッカー連盟が主催するクラブチームのサッカー国際大会「コパ・スダメリカーナ」の決勝で、メデジンが本拠地のチーム「アトレティコ・ナシオナル」と対戦する予定だった。チーム史上最も重要な試合になるはずだった。 

「アトレティコ・ナシオナル」は、「シャペコエンセ」が優勝チームとなるよう、棄権する意向を示している。  さらに「アトレティコ・ナシオナル」はツイートでサポーターたちに、試合開始時間に白い服を着て競技場に集まってほしいと呼びかけた。

 ブラジル1部リーグの各チームは共同声明で、事故で選手の大半を失った「シャペコエンセ」に、自分たちの選手を無料で提供すると表明。また1部リーグに対しては、「シャペコエンセ」が向こう3年は降格にならないよう、配慮を求めた。 

リオネル・メッシやネイマール、ウェイン・ルーニーなど多数のサッカー選手が、事故死したチーム関係者を追悼するメッセージを寄せている。 

ブラジルのミシェル・テメル大統領は、3日間の服喪を宣言。スペインのトップチーム、FCレアル・マドリードとFCバルセロナは、練習開始前に1分間の黙祷を捧げた。

何が起きたのか 

28日午後10時15分(日本時間29日午後0時15分)ごろ、コロンビア・メデジンに接近する途中で事故機からの交信が途絶えた。それに先立ち、機長は管制塔に電気系統の故障を報告していた。 

山間部に墜落した機体は大破したが、6人が生存。そのうち3人はサッカー選手だった。助かったサッカー選手は次の3人――。 

・DFアラン・ルシェウ(脊椎に負傷) 

・DFエリオ・ゼンペル(頭蓋骨と胸に負傷)
 
・補欠GKジャクソン・フォルマン(負傷箇所不明)

愛称「ダニロ」のGKマルコス・マディリャ選手も、墜落機の中から救出されたが、搬送先の病院で死亡した。 

同乗していた記者21人のうち、6人はフォックス・スポーツ・ブラジルの記者だった。ブラジルのメディア複合企業グローボ社の記者も複数いた。 

英国からは航空調査官3人が、事故原因解明の応援のためコロンビアへ向かった。 

「シャペコエンセ」のゴールキーピング・コーチ、マルセロ・デ・クアンドロス・クンスト氏は、決勝戦に選ばれなかった選手たちと共にブラジルに残った。BBCに対しては、「選手の妻たちが次々と気を失って、救急車で病院に運ばれている。選手が残したシューズを抱きしめている遺族もいる」と話した。 

ブラジルに残っていたアルゼンチン出身のFWアレハンドロ・マルティヌッチオ選手は、アルゼンチンのラジオ局に「負傷したおかげで、助かった」と述べ、「とてつもなく悲しい。乗っていた仲間のために祈ってくださいとお願いするしかない」と話した。

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サンパウロから登場する直前、シャペコエンセのカドゥ・ガウショ監督(36)は、チームのフェイスブックに掲載されたビデオで、メデジンへの旅は「チームにとって今までで一番大事」だと話していた。 

南部サンタカタリーナ州にある人口20万人未満の小さい町の地元チームにとって、コパ・スダメリカーナの決勝進出は、素晴らしいシーズンのハイライトになるはずだった。 

1973年創設のシャコペンセが、ブラジルの1部リーグ(セリエA)に進出したのは2014年。現在は、サンパウロやフルミネンセ、クルゼイロなどの有名チームを抑えてリーグ9位だ。 

アルゼンチンのサン・ロレンツォを下して、コパ・スダメリカーナ決勝進出を決めたばかりだった。ブラジルのクラブ・チームが同決勝に進むのは3年ぶり。 

チーム創設者のひとり、アルバディル・ペリセル氏はBBCブラジルに対して、事故によって「全員の夢が断たれてしまった」と話した。  「私たちは家族だった。ショックだ」

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ブラジル人が応援チームのジャージーを着るのは珍しくない。しかしシャペコでは、意味するところが変わってしまった。 

早朝から老若男女が、シャペコエンセのスタジアム「アレーナ・コンダ」に次々と集まり始めた。 

生徒たちが競技場に行くのを、学校は留めなかった。商店は閉店したままだ。 

チームカラーの緑と白を身に着けた人たちは、からっぽのピッチを呆然と見つめている。こんな悲劇が起きたなど、まだ信じられないのだ。 

「みんなあんなに謙虚な子たちだったのに」とサポーターのジャイール・イポリトさんは言う。
「わざわざ時間を割いて、僕たちと話をしてくれた。一緒に写真をとったり、病院を訪問したり。そういうチームばかりじゃないので」 
「本当なら今頃、お祝いしてるはずだったのに」とイポリトさんは続ける。自分たちのチームはついにトップチームとして、最初の国際タイトルを手にする直前だったのだ。 

しかし今では、サポーターたちはただ押し黙り、選手たちの帰還をひたすら待つ。 

「遺体がどうなったか知ってる?」と女性に尋ねられた。「追悼式はこのスタジアムでやるの?」

http://www.bbc.com/japanese/38153481
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